罪刑法定主義の感覚に欠ける

メンヘラを救う方法に関する一考察や、法律に関する話を中心に、様々な話題を提供します。

死刑廃止論を主張してみる

1 はじめに

 私は死刑廃止論者である。ただ、死刑廃止論の評判はすこぶる悪い。この日本において、死刑廃止を主張する者は「左翼」であり「人でなし」である、と評されることが多い。しかし、それでも私は死刑廃止が正当だと考えるため、可能な限り説得的に死刑廃止論を展開していきたい。

 もし読んでくださる方がいれば、批判のコメントを頂戴できれば幸いである。

2 死刑廃止論の積極的理由付け

(1) 冤罪被害者の被る不利益の大きさ

  刑事裁判は人間が行う手続きである以上、誤判は避けられない。現に、死刑確定後再審無罪となっている例が、戦後の日本では4件存在している。

 死刑冤罪は、許されざる不正義である。失われた命は二度と戻ってこない。

 この点を主張すると、「懲役刑で冤罪となった場合、失われた時間は二度と戻ってこない。冤罪を理由にすれば全ての刑罰を廃止することにつながる。」との反論がある。

 しかし、私は、冤罪被害者の被る不利益の大きさに着目すべきだと考えている。すなわち、日本における死刑執行を念頭に置いた場合、死刑執行は事前に告知がされないため、死刑冤罪の被害者は毎日「今日死ぬかもしれない」という恐怖に怯えながら生活することになる。この苦しみの大きさは計り知れない。他方、懲役刑での冤罪の場合、少なくとも「今日命が奪われるかもしれない」という苦しみを味わうことはない。この点で、死刑と懲役刑は決定的に異なると考えている。冤罪被害者により大きな不利益を与える死刑は廃止することが望ましい。

(2) 「人間の尊厳」の破壊

 死刑の存在は、「この世に不要な命が存在する」ことを正面から認めることになる。相模原の障碍者施設における殺人事件を批判するならば、死刑も同様に批判しなければならないのではないだろうか。

 同事件における被告人の主張はこうである。「障碍者は周囲に不幸をもたらす存在であり、人間とはいえないから殺しても構わない」。

 この意見は倫理(学)的に不当である、と私は考えている。具体的には、「人間は、人間であることそれ自体で価値があるのであり、人間の存在それ自体の価値(人間の尊厳)は絶対的な価値である。したがって、たとえ周囲に不幸をもたらしたり、生産性がなかったとしても、人間を殺害することは、上記絶対的価値を破壊するものであるから不当である。」と考えている。

 死刑も同様である。死刑囚も人間であることに変わりはない。人間を殺害することは、いかなる理由でも正当化されないのではないだろうか。私は、同事件の被告人の主張に反対しつつ、死刑に賛同する理論を見い出すことができない。

(3) 死刑に「固有の」犯罪抑止効果がないこと

 死刑に犯罪抑止効果が認められないことはよく知られている。(この点についての資料は随時加筆していきます。)欧州各国では、死刑に犯罪抑止効果がないことが死刑廃止の大きな理由になっているとされる。

 なお、このような主張をすると、「馬鹿言うな。駐車違反を死刑にしたら誰も駐車違反はしなくなる。死刑に犯罪抑止効果があることは明らか。はい論破。」などと言われることがあるが、これは誤りである。ここで問題にすべきは、死刑に「固有の」犯罪抑止効果があること、すなわち、無期懲役では犯罪抑止ができないが死刑には犯罪抑止効果がある、ということを示さなければならない。換言すれば、「死刑になるなら犯罪をしないけど、無期懲役なら犯罪をしよう」と考える人間がどれだけいるか、が問われている。このような人間の存在を示すことは極めて難しいだろう。

(4) 「拡大自殺」の存在

 むしろ死刑には犯罪を誘発する側面がある。「拡大自殺」とも呼ばれるそうであるが、要するに、「死刑になりたいから大量殺人をする」という者の出現を避けられないことである。このような者は死刑を望むべく、「大量殺人」を目指すため、社会に与える弊害は大きい。

 これに対し、「刑務所に入りたい」という者もいるではないか、という反論があるかもしれないが、「刑務所に入りたい」という者は、労力をかけて殺人をする必要はなく、軽微な犯罪で済ますであろう。

 死刑は犯罪抑止効果がない(少なくとも微妙である)だけでなく、犯罪を誘発しているということは見過ごされてはならないであろう。

3 死刑存置論に対する反論

(1) 世論の存在

 確かに、日本国民の多くは死刑を望んでいる。しかしながら、世論の存在は死刑を存置する理由になるのだろうか。世論がいくら求めようとも、理論的に正当化できない制度ならば国家が率先して廃止するべきである。

(2) 被害者感情の保護

 死刑の廃止は被害者感情を宥和するという重要な刑罰の目的を放棄することになる、という主張がある。

 ①そもそも、刑罰の目的・刑罰の重さに被害者感情が含まれるということには強い疑問がある。刑罰の目的が被害者感情の宥和にあるならば、刑罰は私的制裁に至るであろう。また、当該被害者の遺族の数に応じて刑罰の重さが変わる、ということは、上に述べた「人間の尊厳」に反するものであり、このような考え方は量刑理論上も否定されている。(天涯孤独の人を殺す場合と,存命親族が多い人を殺す場合とで量刑が異なることを正当化することはできない。)

 ②仮に刑罰の目的の一部に被害者感情の宥和が含まれていたとしても、死刑によってこれが果たされるか疑問である。大切な者を奪われた悲しみは、死刑の執行によっても緩和されないのではないだろうか。犯人を許せないという思いは、いつまでも消えることはないであろう。犯人が死刑になるか、無期懲役になるかによって、結果に大きな差があるかは疑問である。

(なお、佐伯仁志『制裁論』に、被害者感情は、その国の最高刑が下されるということによってある程度緩和されるといった旨、記載されていた記憶があるので後日確認したい。)

 ③また、(正直申し上げてこれが匿名ブログであるからこそ言える意見ではあるが)百歩譲って死刑によらなければ被害者感情の宥和が果たされないとして、被害者感情が宥和されないとどのようなデメリットがあるのであろうか。

 犯罪によって命を奪われる者は数知れない(犯罪名でいえば、殺人だけでなく、自動車運転過失致死、傷害致死、業務上過失致死、保護責任者遺棄致死など、たくさんある。)。その中で、少なくとも現時点において、犯人が死刑になるケースは極めて稀である。自動車運転過失致死や業務上過失致死、保護責任者遺棄致死罪で死刑になるケースはないといってよい。それだけ、日本では「犯罪によって命を奪われた者の遺族」は溢れているのである。そうすると、死刑存置論者によれば、日本はまったくもって被害者感情の宥和が果たされていないということになるが、具体的にどのような不利益が生じているのであろうか。

 むしろ、ある事件の犯人が死刑になり、ある事件の犯人は懲役刑にとどまる、といったことで、遺族に苦しみ(命の価値を軽く見られた、というような感覚)が生じることさえ否定できない。

 もちろん、遺族の被害者感情はできる限りケアするべきであるが、先に述べたように、死刑によって彼らの傷が癒されるとは私には思えない。

 ④これは水掛け論になってしまうが、念のため述べると、被害者感情といっても一様ではない。例えば、家族間殺人の場合、遺族が極刑を望まないケースがある。

(3) 人を殺したのだから犯人には人権がない、という議論

 人を殺害した者には人権がない以上、その者を殺しても何ら不正ではない、といった議論がある。

 ①先に述べたように、「人間の尊厳」の保護の見地からすれば、「この世に価値がない、すなわち、人権のない人間が存在する。」という余地を認めるべきではないと考えられる。

 ②「人を殺害すると人権がなくなる」ということに理論的根拠はあるのだろうか。これが「他者に迷惑をかけた者は人権を奪われてもやむを得ない」ということを意味するのならば、先の相模原の事件の被告人を批判できない。

 「他者に迷惑をかけること」と「法律に違反する」ことは違う、といわれるかもしれないが、「法律に違反する」といっても、例えば治安維持法に違反したからといって殺されるのは不当であることを踏まえると、本質的なのは、「倫理的に不当であること」であろう。私は「他者に迷惑をかけること」は「倫理的に不当である」と考えているため、結局は、「人を殺害すると人権がなくなる」という主張は、「他者に迷惑をかける者は人権がない」という議論に聞こえてしまう。

 この点については是非どなたかに理論的正当性をご教示願いたい。

(4) 税金の無駄

 死刑囚を養うのは税金の無駄である、という議論がある。日本においては死刑囚と無期懲役囚のコストを算出したものがないようであるから、あくまで参考程度にアメリカでの議論を紹介するが、アメリカでは「死刑はコストがかかる」と試算されているそうである。

米各州で死刑制度廃止の動き、経費削減のため 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 確かに、死刑囚は無期懲役囚と異なって働かない上に、個室収容であることから、収容コストがよりかかることが想定できる。税金の無駄という主張は失当ではないだろうか。

(5) 特別予防の観点

 死刑に特別予防効果があることは否定しがたい。つまり、死刑にしてしまえば、再犯防止が確実に図れる、という主張である。

 しかし、現在の無期懲役は事実上終身刑化していることを踏まえると、無期懲役だからといって特に優位に特別予防効果が落ちるということは想定し難い。下記の法務省の資料によれば、平成28年で仮釈放が許可されたのは全無期懲役囚のうちの約0.5%であり、仮釈放が許可された者の平均在所期間は31年9月となっている。仮釈放がいかに狭き門であるかが分かるであろう。

http://www.moj.go.jp/content/001240576.pdf

4 おわりに

 おわりに、と書いたが、願わくば、批判コメントを踏まえ、より深い考察を今後も展開できることを望んでいる。